水滸巡礼~108の足跡~阮小七(げんしょうしち)

top

 

3兄弟一のやんちゃ坊主
最後まで朝廷入りに反対

阮小七は石碣村の漁師で、長兄の阮小二(げんしょうじ)、次兄の阮小五(げんしょうご)を合わせ、阮3兄弟と呼ばれた。あばた面に突き出た眼、顎には黄色い鬚をたくわえ、鋼のように逞しい体つきをしていた。「この世の閻魔大王」を意味する「活閻羅(かつえんら)」という恐ろし気なあだ名を持つが、三男坊のせいか子どもっぽく、いたずら好きの少年であった。

photo1

 

ある日、兄弟は旧友の呉用に頼まれ、宋朝廷が賄賂として運ぶ生辰綱(せいしんこう)なる財宝の略奪計画に手を貸す。計画は成功したものの、宋朝がこの件を知り、呉用たちを捕獲すべく追っ手を放った。兄弟はこれを避け、川までおびき寄せると、追っ手の船の下に阮小七が潜った。阮小七は子どものように笑いながら、次々と船を揺らして転覆させ、追跡を振り切る。そして彼ら兄弟は、梁山泊に迎え入れられ、入山することとなった。

その後阮小七は、水軍の指揮を執る。しかし梁山泊の朝廷帰順には反対しており、ある日、山塞にやって来た朝廷の使者を騙して、朝廷から贈られた御酒をどぶろくと入れ替えた。これに怒った頭領たちは、帰順の話を反故にするよう仕向けるという、とんでもない悪戯を仕掛けたのだった。しかし結局梁山泊は朝廷入りし、初戦となった方臘の戦いで兄2人が戦死。梁山泊は勝利したが、兄を失った怒りから阮小七は朝廷をますます嫌い、遂には梁山泊を去った。

photo2

 

兄弟の故郷、石碣村があったとされる山東省泰安市東平県。梁山泊の中に広がる東平湖は、街の貴重な水源となっている。この湖を漁師の身に戻った阮小七も、あどけない笑顔で船を漕いでいたのだろうか。

map

 

 

~北京ジャピオン2014年02月17日号

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

PAGE TOP