水滸巡礼~108の足跡~孟康(もうこう)

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お尋ね者の船大工
好漢たちを乗せた大船

孟康はかつて、真定州(現河北省石家荘市正定県)で船大工を稼業としていた。すらりとした長身で色白、そんな外見が白玉の竿柱のように美しかったことから、「玉旛竿(ぎょくはんかん)」と呼ばれた。

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孟康はある日、皇帝の命で、造園に使う材料の花木竹石を運ぶ船を建造していたところ、仕事を急き立てる監督官と喧嘩になった。勢い余って監督官を殺してしまった彼は、そのまま逃亡。そして行き着いた先が、山賊が巣食う飲馬川(いんばせん)なる土地だった。彼は山賊に身を落とし、飲馬川の第1頭領である裴宣(はいせん)、第2頭領の鄧飛(とうひ)とともに、第3頭領として場を仕切るようになった。そんなある日、鄧飛が梁山泊一俊足と言われる男、戴宗(たいそう)を連れて来た。戴宗が梁山泊の人間だと知り、彼らはすっかり舞い上がる。そして、戴宗も彼らの腕を見込み、仲間入りを勧めると頭領たちも快諾して入山。

入山直後より、孟康は船大工の経験を買われ、造船を任される。これまで、漁師出身の者が多く、小船しか造れなかったが、孟康の活躍により、大型戦艦の建造が可能になり、梁山泊の戦闘力や物資輸送力は飛躍的な進歩を遂げる。彼が造った船は、その後の遼国(りょうこく)の戦いや方臘の戦いで使われ、大きな戦力になった。

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孟康の故郷と言われる河北省石家荘市正定県。かつてここには、行政機関の定州府が置かれた。歴史遺産は数多く、三国志に登場する蜀の猛将、趙雲(ちょううん)の出身地として、多くの歴史ファンが訪れる。どこか、孟康が船を造る音が聞こえてきそうだ。

 

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~北京ジャピオン2013年11月04日号

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