水滸巡礼~108の足跡~戴宋(たいそう)

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乱世を駆け抜ける駿足
情報探知に東奔西走

戴宗は駿足を意味する「天速星」の生まれ変わり。入山前は江州(現江西省九江市)の牢役人であった。「神行法(しんこうほう)」と呼ばれる道術を体得しており、驚異的な速度で1日に八百里(約300㌔)を走ると言われた。不思議な術を使うことから、妖術師を表す「太保」を加え、「神行太保(しんこうたいほう)」と呼ばれた。

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ある日、戴宗が監視する牢に宋江が送られてきた。戴宗は相手が宋江と知らず、付け届けを渡すよう怒鳴りつける。しかし、戴宗は梁山泊の呉用と旧知の仲で、宋江が呉用の書いた手紙を見せると、戴宗は宋江の素性を知り、態度を改めた。戴宗が宋江をもてなしていると、色黒の厳つい男が現れる。戴宗の弟分、李逵(りき)であった。そして、これを機に2人は入山。

ある日梁山泊が祝家荘との対戦中、仲間が高唐州(現山東省聊城市)で捕えられたとの情報が入る。これを聞いた戴宗は、野山を駆けに駆け、梁山泊に第一報を届ける。梁山泊は直ちに救出軍を編成したが、敵軍に対抗するには道士・公孫勝(こうそんしょう)の力が必要と知り、今度は戴宗に薊州(けいしゅう)まで探しに行かせた。戴宗らは公孫勝を見つけ出し、数日で彼を連れて帰ると、公孫勝の戦術で敵軍を打ち、見事仲間を救出。その後も、その人並み外れた速さを生かし、諜報、工作、捕虜救出などの場面で大活躍した。

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方臘の戦い後、戴宗が赴いた済寧市兗州市。4000年の歴史を有し、唐の詩人・李白もかつてはこの地に滞在したことがあるという。北に泰山、西に梁山泊を臨みながら、戴宗は何度もこの地を駆け抜けた。

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~北京ジャピオン2014年01月20日号

 

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