水滸巡礼~108の足跡~呉用(ごよう)

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清濁併せ呑む知略家
智を以て敵軍を打ち破る

呉用はもと鄆城県(現山東省菏沢市)の寺子屋教師。書生らしく道服を着用し、白い肌に秀でた眉、長い顎鬚をたくわえていた。あらゆる書物に通じ、軍事においては智略に富み、様々な策を講じることから、「智多星(ちたせい)」と呼ばれた。

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ある時、呉用は、かねてより親交のあった晁蓋(ちょうがい)に請われ、朝廷の役人が輸送させていた賄賂「生辰綱」の強奪を企てる。ゴロツキの白勝(はくしょう)を利用し、「生辰綱」を見事奪い取り、呉用らは梁山泊へ逃げ込む。当時の梁山泊は王倫(おうりん)という男が仕切っていたが、同じく梁山泊に逃げ込んできた林冲をそそのかしてクーデターを起こさせ、晁蓋を首領の座につけた。そして、晁蓋の死後は宋江を次期頭領に推し、補佐した。

呉用の智略は、敵将を仲間に引き込むときによく発揮されたが、後の梁山泊頭領となる盧俊義(ろしゅんぎ)の場合が特に印象深い。呉用は占い師の振りをして盧俊義を欺き、家族と仲違いまでさせて仲間に加えた。また、戦とは無縁な書道家と彫刻家を欺いて入山させたりするなど、時には卑劣と言うしかないようなやり方もした。しかし、それはできるだけ無駄な犠牲を出さずに、有能な人物を引き入れるための策でもあった。

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呉用が謀略で落とした地域の1つ、河北省廊坊市。梁山泊が攻略した当時は覇州と呼ばれた。北に北京市、南に天津市と接し、清朝末期に北京、天津市などを通る鉄道建設に伴って発展し、印刷業が盛んな地として知られるようになった。比較的新しい都市だが、大昔に天才軍師、呉用が通った地であったことを知る者は少ない。

 

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~北京ジャピオン2013年10月14日号

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