手先の器用な手長猿
山塞を彩る仕立て職人
侯健は洪都(こうと、現江西省南昌市)から来た仕立て職人。かつて梁山泊の薛永(せつえい)から槍棒を習ったことがあり、多少の武道の心得はあったものの、何よりも裁縫に関して、彼の右に出るものはいなかった。痩せた身体に長い腕をもつことから、「通臂猿(つうひえん=手長猿)」と呼ばれていた。
侯健が江州(現江西省九江市)で、役人の黄文炳(こうぶんへい)のもとで働いていたある日のこと。道端で顔を合わせた薛永が、謀反の罪で黄文炳に捕らえられた宋江を救出したいと持ちかけてきた。侯健は、薛永が憧れの梁山泊の一員だったと知り、その頭領を助けないわけにはいかないと、協力を決意。早速、黄文炳が留守の時間などを梁山泊に教え、屋敷を襲撃。宋江は黄文炳を殺し、復讐を果たした。そして、侯健もこれを期に入山することになった。
その後は、仕立て職人としての腕を振るい、好漢たちの衣装や甲冑、軍旗、陣幕など、裁縫や刺繍に関わる業務すべてを担当した。梁山泊に掲げられた「替天行道」の文字が書かれた旗を始め、宋江の「山東呼保義」、盧俊義(ろしゅんぎ)の「河北玉麒麟」の旗はすべて侯健が製作。山賊集団であった梁山泊が軍隊のような威容をもっていたのは、ひとえに彼の働きと言える。
侯健の故郷、江西省南昌市。江西省の省都で2000年の歴史を有する同市は、中国最大の淡水湖、鄱陽湖(はようこ)に面し、市中心部を長江支流の贛江(かんこう)が流れ、水の都として知られる。絹のように流れる贛江は、まるで侯健が縫った織物のごとく緩やかだ。
~北京ジャピオン2013年10月28日号