山塞に導かれた名職人
宋江救出に彫った印章
金大堅は、済州(現山東省済寧市)で、
彫刻や印章製作で生計を立てていた。
その腕前は華北一と言われ、
技術の高さと作品の美しさをたとえて、
「玉臂匠(ぎょくひしょう、女性の美しい腕の意)」と
呼ばれた。
金大堅はある日、書道家の蕭譲(しょうじょう)とともに、
泰安(現山東省泰安市)の道士から彫刻を依頼された。
2人は泰安に向かったが、道中何者かに襲われ、
梁山泊に連れ去られた。
彫刻を依頼した道士の正体は、梁山泊軍師、呉用(ごよう)。
朝廷に謀反の罪で捕らえられた宋江を救うべく、
彼らを山塞に入れたのだった。
宋江は江州(現江西省九江市)で捕まり、
宋の宰相・蔡京(さいけい)の息子、蔡九(さいきゅう)が
牢を守っていた。
呉用は、蔡京の手紙を偽造して宋江を救い出そうと考え、
蕭譲に宋江処刑延期の旨が書かれた手紙を、
金大堅に印章の製作を命じる。
そして金大堅は、見事蔡京の印章と瓜二つのものを作り上げた。
手紙は蔡九のもとに届いたが、呉用の失態で、
蔡京が親族に使う印章と違うものを彫らせてしまったため、
作戦は失敗に終わる。
しかし、結果的に梁山泊軍が乗り込んで宋江を救出。
作戦は成功しなかったものの、金大堅の腕は認められ、
その後、軍の印章や鑑札を製作するなど、
裏舞台で手腕を発揮した。
金大堅が生まれた山東省済寧市は、
孔子の故郷としても知られる。
昔から、市中央を京杭大運河が流れていたことで、
物資集散の中心となり、かつては山東で最も、
経済、文化の発展した場所であった。
金大堅の巧みな技術も、
済寧市が生み出したひとつの文化と言えよう。
~北京ジャピオン2013年7月15日号