縦横無尽に駆ける獅子
攻守で活躍する戦上手
鄧飛はかつて、薊州(けいしゅう、現天津市)の飲馬川で、山塞を構えていた山賊頭領。「鉄鐮(てつれん)」と呼ばれる鎖鎌の使い手で、第1頭領の裴宣(はいせん)とともに部下を仕切り、幅を利かせていた。あだ名の「火眼狻猊(かがんさんげい)」は、人肉を食べすぎてその眼が赤く染まり、その獅子のような外見が、中国の伝説上の動物、「狻猊(さんげい)」を彷彿とさせることにちなむ。
ある時鄧飛は、いつものように、飲馬川を通る旅人を襲った。ところがその旅人は梁山泊の人物で、1日で500里(約200㌔)を走る「神行法」と呼ばれる道術をもつ男、戴宗(たいそう)と、かつての山賊仲間、楊林(ようりん)。彼らをひと目見て並の人間ではないと、鄧飛は宴を開いて彼らをもてなし、すっかり意気投合、梁山泊への関心を強めて、入山した。
入山後、鄧飛は祝家荘(しゅくかそう)の戦いで初陣を飾る。先鋒として出陣し、果敢に敵将に挑むが、仲間が攻撃の最中に苦境に陥ると、すぐに救援に回るなど、機転を利かせた戦いを見せた。その後は捕虜となるものの、敵の城内に潜り込ませた味方と連携して、内側から祝家荘を攻撃し、勝利に貢献。獅子奮迅の怒涛の攻めを見せる一方、仲間の救出や補佐に回ることも多く、広い視野をもつ器用な小隊長として、活躍していった。
鄧飛が生まれた湖北省襄陽市。市を長江の最大支流、漢江(かんこう)が流れ、唐の詩人、孟浩然(もうこうねん)も詩作『襄陽曲』で漢江の美しさを詠っている。そしてこの地にはまた、『水滸伝』でその武功を称えられた、鄧飛という1人の豪傑がいた。
~北京ジャピオン2013年10月21日号