水滸巡礼~108の足跡~施恩(しおん)

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交易所を仕切る若番頭
最後まで武松に恩を施す

施恩は、河南省孟州市の牢役人の息子。
父の威を借り、
100人近くの囚人を使い、
20代半ばにして交易所「快活林」を
取り仕切っていた。
生まれつき目が金色で、
武芸の腕も立つことから
「金眼彪」と呼ばれた。

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ある日、施恩の快活林に、
1人の大男が現れた。
その名を蒋門神(しょうもんしん)といい、
地元の武術大会で優勝するほどの
怪力の持ち主で、
快活林を乗っ取りに来たのだった。
施恩は戦って抵抗したが、
まるで歯が立たず、
散々に打ちのめされ、
満身創痍となる。
ようやく快復し、
歩けるようになったある日、
施恩のもとに、虎退治で
有名になった武松が囚人として
送り込まれてくる。
施恩は、彼がかの有名な武松と知り、
自分に代わって蒋門神に
仕返しをしてもらおうと、
父に頼んで刑罰を免除した。
事情を知った武松は蒋門神への
報復を引き受ける。
決戦の日、武松は酒に酔っていたが、
蒋門神を難なく打ち倒し、
快活林は再び施恩の手に戻った。
施恩は武松の強さに感激し、
手厚くもてなした。
その後、武松が孟州市を出ることになった。
施恩は武松を送り出した後で、
頼れる者はやはり彼以外にいないと、
彼を追いかける。
やがて2人は、魯智深のいる二龍山に辿り着き、
独自の組織を築く。
二龍山は徐々に勢力を拡大し、
最後には梁山泊に加わるのだった。

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施恩が死没した常熟市。
江蘇省南東部に位置する同市は、
南北朝時代から、農作物豊かで、
自然の恩恵を受けた、
肥沃な土地として知られた。
今日も、陽澄湖の大閘蟹や桂花栗子など、
多くの名産を産出するこの地で施恩は、
武松に、梁山泊に、最後まで
〝恩〟を施した。

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~北京ジャピオン2013年6月10日号

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