天地を揺るがす轟音
砲弾で梁山泊を圧倒
凌振は官軍の出身で、かつては東京開封府(現河南省開封市)で
「甲丈庫(武器庫)」の管理を担当していた。
その一方で、火砲の製造と使用に長け、
「風火砲」、「金輪砲」、「子母砲」の、3つの大砲を開発。
これらは天地を破壊せんばかりの威力を持ち、
雷のごとき轟音を発したという。
そんな凄まじい砲弾を作り出す彼を、
人は「轟天雷(ごうてんらい)」と呼んだ。
凌振はある日、朝廷から梁山泊討伐を支援するよう命じられる。
討伐軍を率いるのは、宋の名将、呼延灼(こえんしゃく)。
討伐軍は、戦法「連環馬(れんかんば)」で梁山泊軍に大勝したが、
周囲を水に囲まれた梁山泊を陥落させるには火砲が必要と考え、
彼に援助を求めたのである。
彼が命に従い、三発発射すると、見事山塞に命中。
その破壊力に梁山泊はなす術もなく、
圧倒されるばかりであった。
梁山泊は、砲弾を取り除かない限り勝ち目はないと、
闇夜に紛れて敵陣に忍び込むよう水軍に命じ、
砲台を水中に落とさせた。
凌振は船で水軍を追ったが、返り討ちに遭い、捕縛される。
処刑を覚悟したものの、
彼を高く評価していた宋江は礼を尽くし、入山を勧める。
そして、時を同じくして捕らえられた呼延灼の部下とともに、
ついに決意した。
その後も火砲の製造に関わり、砲隊を指揮。
これまでになかった飛び道具を扱う隊として、勝利に何度も貢献した。
凌振が生まれた河北省邯鄲市磁県。
故事「邯鄲の夢」でお馴染みのこの地は、
春秋・戦国時代は、趙(ちょう)の国の都として栄えた。
彼が発した凄まじい砲音は、
遠いこの故郷にも響いたことだろう。
~北京ジャピオン2013年8月26日号