水滸巡礼~108の足跡~孫立(そんりつ)

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唐の名将、尉遅の再来
入山のため旧友を欺く

孫立は、登州(現山東省北沿岸部)で軍の提轄(指揮官)の任に就いており、長槍や弓の扱いに長けた。武芸一辺倒の人間で、その腕前が唐代の将軍、尉遅(うっち)を思わせること、さらに顔が病に冒されたように黄色かったことから「病尉遅(びょううっち)」と呼ばれた。

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ある日、弟の孫新の妻、顧大嫂が急病につき、すぐに来てほしいとの知らせを受ける。孫立は慌てて、彼女のもとへ駆けつけたが、見ると、彼女に変わった様子はない。顧大嫂は、無実の罪で府の牢に入れられている従兄弟を救出すべく、孫立の力を借りようと、彼を呼んだのだった。孫立は府の軍人であるので、最初こそ固辞したが、ほかならぬ弟の妻の頼みとあって、結局協力を決意。そして、顧大嫂らを伴って牢に入り、従兄弟を脱獄させる。追いかけてくる役人を矢で討ちながら、一行は逃亡した。

行くあてがなくなった孫立たちは、梁山泊へと逃げこむ。梁山泊は当時、祝家荘との戦いに苦戦中で、孫立らをかくまう余裕がなかった。そこで、孫立は武功を立て、宋江の信頼を得ようと、祝家荘に入って内部撹乱を試みる。祝家荘には旧友の欒廷玉なる将軍がおり、最初は彼を援護する振りを見せていたが、偽情報を流して、祝家荘軍を別の場所に向かわせ、空城になったところで梁山泊を呼び込んだ。欒廷玉はこの時に殺され、祝家荘の指揮系統も乱れに乱れ、遂には梁山泊に敗北。この一件で、孫立一行は晴れて豪傑たちの仲間入りを果たす。

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孫立の故郷、海南省海口市。海の美しさから古来「珠崖」と呼ばれ、唐僧、鑑真が漂着した地として知られる。孫立が幼少期に見た空と海。今も変わらぬ青さで旅人を魅了してやまない。

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~北京ジャピオン2013年12月02日号

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