水滸巡礼~108の足跡~花栄(かえい)

t

 

万夫不当の英傑ここに
その矢は雁をも射抜く

花栄は軍人の家系に生まれ、武芸に優れた。特に弓矢において彼の右に出る者はいないと言われ、その腕は空を飛ぶ雁をも射抜くほどだったため、漢代の弓の名手・李広にたとえて「小李広(しょうりこう)」や「神箭将軍(しんぜんしょうぐん)」のあだ名で呼ばれた。

left

 

ある日、花栄のもとに旧友の宋江が逮捕されたとの知らせが届く。同じ清風鎮の文官である劉高(りゅうこう)の妻が、宋江は山賊だと訴えたため、捕縛されたのだった。花栄はすぐに宋江を救い出すが、その後劉高が200人の手勢を引き連れ屋敷まで押しかけて来る。そこで花栄は、門の所に置かれている像が持つ杖を射抜くことができたなら、直ちに引き返すよう劉高に言い渡した。射られた矢は空を切り、光の線が劉高の目の前を走る。果たして矢は命中し、次は像の兜、そして劉高軍の1人を撃つと花栄が言い放つと、彼らは血相を変えて逃走した。その後、花栄は宋江に協力する形で入山し、梁山泊の一員になったのである。

入山後も彼の活躍は光った。曹頭市の戦いでは、敵兵に殺されそうになっていた仲間を間一髪のところで矢で救い、方臘の戦いでは、一の矢、二の矢で次々と敵将を落馬させる。また、自分のもとに飛んで来た矢を、身体を反らせて掴むと、自らの弓で射返し、敵将を撃破。戦では林冲や秦明と並ぶほど、無類の強さを誇る英傑であった。

right

花栄が梁山泊朝廷入り後に暮らした河南省商丘市。宋代は南京応天府と呼ばれ、5000年の歴史を持ち、商人、商売、商売発祥の地として商丘の名が付いた。稀代の射手が暮らしたこの地を巡ってみたい。

 

m

 

 

 

~北京ジャピオン2014年3月17日号

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

PAGE TOP