水滸巡礼~108の足跡~郭盛(かくせい)

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唐の名将軍の再来
白く輝いた方天画戟

郭盛はかつて諸国を回る水銀商人であった。
旅の途中、黄河で水難事故に遭ったことで商いに頓挫し、
賊徒に成り下がる。
若い時から「方天画戟(ほうてんがげき)」
と呼ばれる武器の扱いに長け、
「賽仁貴(さいじんき)」なるあだ名を持っていた。
これは唐の将軍、仁貴(じんき)を凌ぐという意味。
仁貴は方天画戟の使い手で、白一色を身にまとい、
戦っていたことで有名。
郭盛もそれに倣って、白でそろえると、
仁貴をも凌駕する腕前で、その名を轟かせていた。

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郭盛はある日、青州(現山東省青州市)の
対影山(たいえいざん)に、
呂方(りょほう)という、同じく
方天画戟を操る人物の噂を聞く。
それはぜひ手合わせを、と考えた郭盛は、
青州に赴くと、勝負を挑んだ。
郭盛の前に現れた呂方は、全身赤づくめ。
一方の呂方は白備えで、紅白の対決が始まった。
ところが半月経っても勝負がつかず、
最後は偶然通りかかった宋江の仲介によって決着。
そして、最終的に2人は、宋江の勧めで入山することになった。
郭盛は入山後、宋江近衛隊として活躍。
宋江が江州(現江西省九江市)で
敵軍に捕縛された時は、
商人のふりをして侵入し、救出に貢献。
また、曽頭市(そうとういち)の戦いでは、
呂方と一対で戦うなど、攻撃軍主力の1人として
多くの見せ場を作った。

 

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郭盛の故郷、四川省南充市。
長江の支流である嘉陵江が市内を流れ、
水資源が豊富な地として知られる。
また、「白鷺の郷」とも呼ばれ、
太和鷺鳥という白鷺が2万羽以上生息する。
この地から飛び立ち、純白の勇将として名を馳せた郭盛は、
白鷺の化身だったのかもしれない。

 

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~北京ジャピオン2013年7月22日号

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