唐の名将軍の再来
白く輝いた方天画戟
郭盛はかつて諸国を回る水銀商人であった。
旅の途中、黄河で水難事故に遭ったことで商いに頓挫し、
賊徒に成り下がる。
若い時から「方天画戟(ほうてんがげき)」
と呼ばれる武器の扱いに長け、
「賽仁貴(さいじんき)」なるあだ名を持っていた。
これは唐の将軍、仁貴(じんき)を凌ぐという意味。
仁貴は方天画戟の使い手で、白一色を身にまとい、
戦っていたことで有名。
郭盛もそれに倣って、白でそろえると、
仁貴をも凌駕する腕前で、その名を轟かせていた。
郭盛はある日、青州(現山東省青州市)の
対影山(たいえいざん)に、
呂方(りょほう)という、同じく
方天画戟を操る人物の噂を聞く。
それはぜひ手合わせを、と考えた郭盛は、
青州に赴くと、勝負を挑んだ。
郭盛の前に現れた呂方は、全身赤づくめ。
一方の呂方は白備えで、紅白の対決が始まった。
ところが半月経っても勝負がつかず、
最後は偶然通りかかった宋江の仲介によって決着。
そして、最終的に2人は、宋江の勧めで入山することになった。
郭盛は入山後、宋江近衛隊として活躍。
宋江が江州(現江西省九江市)で
敵軍に捕縛された時は、
商人のふりをして侵入し、救出に貢献。
また、曽頭市(そうとういち)の戦いでは、
呂方と一対で戦うなど、攻撃軍主力の1人として
多くの見せ場を作った。
郭盛の故郷、四川省南充市。
長江の支流である嘉陵江が市内を流れ、
水資源が豊富な地として知られる。
また、「白鷺の郷」とも呼ばれ、
太和鷺鳥という白鷺が2万羽以上生息する。
この地から飛び立ち、純白の勇将として名を馳せた郭盛は、
白鷺の化身だったのかもしれない。
~北京ジャピオン2013年7月22日号