その姿は三国志の豪傑
紅白の長い鍔迫り合い
呂方は、山東省青州市にある
対影山に居を構える山賊の徒。
『三国志』で名を馳せた武将、
呂布(りょふ)に大きな憧れを抱き、
彼が愛用した武器、
「方天画戟(ほうてんがけき)」を使い、
自身の甲冑や部下の装備一式も彼に倣い、
赤でそろえた。
あだ名の「小温侯」とは、
呂布が就いていた爵位「温侯」に由来。
ある日、呂方のいる対影山の向かいの山に、
郭盛(かくせい)なる
強盗が率いる軍団が住み着いた。
呂方とは対照的に装備を白で統一した郭盛も、
方天画戟の使い手で、
負けた方が手下になるという条件で
勝負を挑んできた。
2人は一騎討ちで勝負したが、
何合交わるも、腕は互角。
来る日も来る日も同じ時間に戦ったが、
とうとう勝負はつかなかった。
ちょうど鍔迫り合いになっていたところ、
そこに1本の矢が飛んできた。
それは、偶然通りかかった宋江に付き添っていた、
花栄(かえい)が放ったもの。
かの有名な宋江が仲裁してきたと知り、
2人は戦いをやめ、そのまま入山した。
その後、呂方は宋江親衛隊として、
郭盛と一対の働きをした。
祝家荘の戦いでは、
祝家の次男を討ち取って武功を上げ、
互いを刺激し合う戦友に。
最期は、方臘の戦いで戦死した郭盛の
後を追うように、敵の前に倒れる。
呂方の故郷である湖南省長沙市。
省都であるこの街は、
春秋・戦国時代には楚の国に属し、
数多の歴史遺産を有する。
千年の歴史をもつ古村、
靖港古鎮や天心閣など、
歴史文化財のほか、
詩人・屈原の出身地としても知られる。
三国志の英傑に憧れ、故郷を飛び出し、
水滸伝の豪傑となった呂方もまた、
この地を代表する隠れた好漢であった。
~北京ジャピオン2013年5月6日号