水滸巡礼~108の足跡~彭玘(ほうき)

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呼延灼が認めた実力
天目将と百勝将が駆ける

彭玘はかつて、穎州(現安徽省阜陽市)で軍の調練指揮官を務めていた。武芸に優れ、「三尖両刃(さんせんりょうじん)」なる、三叉の刀を得物とした。あだ名は「天目将(てんもくしょう)」。それは、彼の武力が死凶疫病を司る凶星、天目(かに座)を連想させるためと言われた。

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ある年の暮れ、彭玘は宋の猛将・呼延灼から、彼が率いる梁山泊討伐軍への参軍要請を受ける。早速任地に赴くと、呼延灼の副将を務めるよう言い渡され、同じく呼び出されていた、百勝将・韓滔とともに戦場へ出た。

そして戦の日、1対1で対戦することになり、先鋒の韓滔は、梁山泊の秦明(しんめい)将軍に苦戦し、今度は呼延灼が林冲(りんちゅう)と対戦。2人は互角に打ち合い、勝負がつかなかった。続いて、彭玘に順番が回ってくる。彼の前に現れたのは、弓の達人・花栄(かえい)。三尖両刃を振って相手に苦戦を強いたが、梁山泊はさらに扈三娘(こさんじょう)を投入、彭玘は彼女の鉤縄(かぎなわ)に捕まり、生け捕られてしまった。

すっかり死を覚悟した彭玘だったが、梁山泊の志に触れ、宋江の仁義に感心し、恭順を決意。そして、後に捕えられた韓滔を説得し、ともに入山した。その後も2人で戦場を駆け、遼国との戦いで戦功を立てる。最期は方臘の戦いで戦死したが、彼の遺体のそばには、輝く三尖両刃があったそうだ。

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彭玘の故郷、安徽省阜陽市。華北平原南端に位置するこの地は、古くは穎州と呼ばれ、交通の要地であった。今日でも、南北を結ぶ交通拠点として、南は武漢市、北は徐州市、東は合肥市と3都市を結び、まるで彭玘の三尖両刃のように鉄道が走る。

 

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~北京ジャピオン2013年12月23日号

 

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